編集: Nerys Avery :英語部分からの翻訳 Lorenz Mohler
2025-05-05
長寿コミュニティはSNS上で盛んに情報を広めているが、Michael Hallの名前を目にすることは殆ど無い。それは、彼がヒトが何故老いるのかについての著書を発表しておらず、長寿者についての報道にも出たことがないからだ。そして、今日、医師を含めた識者が長寿のための養生のスタンダードとしているサプリメント食品や酸素療法の効用について語ることもない。Robert De Niroと取り違えられそうな風貌の71才の研究者は、長寿の秘訣を体を動かすこと、健康な食事を摂ること、社会との付き合い、そして、おそらく良い遺伝子だと話す。彼が長く行っている長寿の鍵となる研究は広く行き渡っている説とは接点が殆ど無いことは不思議なことだ。1990年代、彼は酵母の中に、栄養分の摂取の流れの中で細胞の成長と新陳代謝を制御する遺伝子を発見した。彼はその遺伝子を1960から1970年代に臓器移植の際に免疫反応を抑えるために多く使われたRapamyciから引かれたTarget of Rapamycin (TOR) と名付けた。この遺伝子が哺乳動物で発見されたことでさらにmTORと呼ばれることになった。TORは細胞の老化過程にも関係があり、RapamycinはTOR信号の伝達を抑え、いわゆるAutophagyと呼ばれる加齢とともに溜まる古い細胞、破損した組織と蛋白質を排泄する細胞自身のプロセスを活性化する。Rapamycinが寿命を延ばすことはその後の多くの動物実験で確認されている。その間に長寿信奉者は増え続け、アメリカの有名な医師Peter AttiaはHallの説を基にRapamycinをアンチエイジング薬としての摂取を試した。Hallはしかし、老化専門家として研究を行っているのではなく、TORの化学的基礎とがん治療薬としての活用についての研究に集中している。2024年11月に初めて老化についての研究で彼の功績が認められた。彼は、毎年、芸術、人文科学、自然科学の分野での功績で4人を顕彰するBalzan賞を受けた。
初めての長寿経験
彼は研究者となる前に既に長寿の希望との接触を経験していた。彼の金持ちの変わった叔父はどうしても100才になることを望み、元気な100才を世界中に訪ねる研究旅行を計画していた。もう一人の叔父とHallの友人でMassachusetts General Hospitalの医療部長Alexander Leafがその計画に加わった。Hallが冗談で、誰かにスーツケースを運んでもらいたいかと尋ねると叔父は「勿論!」と答え、North Carolina大学で動物学部を終えたばかりのHallもそれに加わることになった。1970年代に老化について話す人は現在に比べてはるかに少なかった。計画は水を叩くようなもので、手ごたえはなかった。元気な100才はほとんどいなかったからだ。National Geographic SocietyがスポンサーのAlexander Leafの研究はNew York Timesで激しく批判された。研究対象の高齢者のうち数人が故意と間違いとを問わず年齢を偽っていたことが明らかになったからだ。研究旅行は大きな成果を齎さなかったが、老化についての科学的試みへの興味が湧いたとHallは今、振り返る。1970年代後半にHallはHarvard Universityでの細胞生物学の研究で学位を得たが、老化のテーマは遠くから見ていただけだった。1980から1990年代に老化についてのあまりに馬鹿々々しい説が広まっていることで、彼はこのテーマにまじめに関わることにした。それは3人の企業家によるサーカスだった。3人ともどこから来たか分からない説を流しまわって、僅かなカネを儲けるために老化専門家を名乗っていたとHallは話す。
最初の大発見
Hallは老化の研究から離れ、細胞生物学に集中した。「私は、一つの蛋白質が細胞の核の中に運び込まれるメカニズムを理解したかった。」 このメカニズムは細胞がどの様に働くかを解き明かすもとになる。細胞が働きを妨げられる結果、癌になり、ウイルス感染、神経変性疾患が起きる。University of Californiaでの博士号取得後の蛋白質の細胞への取り込みの研究の後、他の場所での研究を続けたかった彼をスイス・オーストリアの生物化学者Gottfried SchatzはUniversität Baselの細胞生物学研究所の生物センターに移ることを説得した。最初は失敗が続いた研究はチームにJoe Heitmanが加わることで進展した。 Heitmanは免疫抑制効果を研究することで細胞外から核への情報がどの様に伝わるかを解明することを提案した。当時、免疫システムが異物を攻撃して押し返すことを抑えるRapamycinのような免疫抑制物質は大きな興味をもって見守られていた。免疫抑制物質は免疫細胞の成長を遅くすることで細胞核への信号の伝達をブロックしていると考えられていたが、この物質についてそれ以上のことは知られていなかった。続く10年間にHallと彼のチームは酵母の細胞核内のRapamycinの分析で多数の重要な発見を行った。その最初のものは1991年に専門雑誌Scienceに掲載された。それまで知られていなかった遺伝子TOR1とTOR2の発見で、Rapamycinへの反応で変異を起こし、耐性を持つことが分かった。研究を続けたチームはコード化された蛋白質から遺伝子を隔離することに成功した。更に、TORが細胞の成長の制御に中心的な役割を果たしていることを発見した。Hallはこの発見を最も嬉しかったこととしている。「振り返ってみると、この基本的な構造が知られていなかったのは信じられないことだ。細胞の異常な成長による癌などの病気は多くある。」
この発見を基礎に製薬企業はmTOR-Blockerと呼ばれる新しい類の癌治療薬を開発した。その中にはスイスのNovartisが開発し、Afinitorの商品名で販売しているEverolimusなどがある。
癌から長寿へ
Hallの細胞成長と代謝の主要な制御役としてのTORの発見は、何故、我々は老いるのかという問いに対する知見も提供する。TORはRapamycinのような有効物質の投与や絶食によって働きが遅くなるが、細胞を清掃するAutophagyの働きは強くなる。しかし、この働きは加齢とともに弱くなる。Autophagyが働かなくなると、体内で損傷した細胞が溜まり、関節症や神経変性疾患などの老人病を起こすもとになる。2003年のUniversität Fribourgの研究者たちの発見は大きな突破口となった。TORをブロックされた環形動物が20から30%長く生きることを確認したことで、TOR研究の大きな扉を開けることになったとHallは説明する。続いて、Rapamycinが人類と大きな遺伝的共通点がある哺乳類で試された。USAの実験では、メスのマウスとオスのマウスの寿命が、それぞれ14%と9%伸びることが確認された。明らかな研究結果が出ているにも関わらず、HallがTORと老化の研究に直接、携わったことはなかった。「もっと重要なことがあり、専門家にその研究を任せたかった。」この研究分野ははっきりと意味を持ったとHallは考える。確かに、長寿に関わる誇大宣伝はまだ大きな広がりを持っているが、科学的な仕事は非常に厳密になったと話す。現在、Hallは度々、会議に長寿に関するテーマの講演者として招かれ、その功績を讃えられるが、2009年にノーベル化学賞を受けたインド系アメリカ人の生物学者Venki Ramakrishnanはその著書Why We DieのなかでHallを世界で最も重要な存命の科学者だと評した。
信用される科学
TORが寿命に与える影響についてままだまだ多くの解明されていない側面があるが、臨床的な試みはまだ難しい。老化は公式には病気と認定されていないからだ。製薬企業が薬品の認可を申請することは不可能で、臨床的な試みに投資することの魅力も小さい。しかし、動物実験では研究は進んでおりRapamycinのアンチエイジング効果が犬で試されている。老化コミュニティは逆に、そのヒトへの効果は全く知られていないにもかかわらずRapamyciを取り上げることが多くなっている。Early Adoptersのオンライン・プラットフォームではUSAで2024年に少なくとも2万人がRapamycinを服用したと報告され、その広がりは300%を超えている。New York Timesは2024年9月にこの人たちの一部に体重減少と痛み止めの軽い効果があったと報道した。
Rapamycinの服用には副作用も懸念され、長寿についての有名なインフルエンサーでDon’t Die運動の創始者Bryan Johnsonは12月にInstagramで、5年続けた服用を軟部の炎症や不整脈などの副作用のために中止したと発表した。幾人かの専門家はまだ楽観的に見ており、何時かは状況は好転するに違いないという立場で、現状ではRapamycinが老化に対する効果が大きいと期待される物質だと世界的な老化研究家のリーダーでシンガポール大学で働くBrian Kennedyは話す。Rapamycinはこれまで唯一の老化を遅らせる効果が確認された物質だ。自らはRapamycinを服用していないHallは、魔法の錠剤とは見ていないが、寿命を延ばす薬品の開発にはTORは避けて通ることが出来ないものだと確信している。