以下の文は2015年01月20日にドイツ語圏スイスの公共放送SRFの報道サイトに掲載されたUSA特派員の報告を纏めた記事を直訳したものです。
«Je suis Charlie!»はこの数日、少なくとも西側地域で、自由を愛す現代人の真言となっている。 多くの大手メディアはモハメドの諷刺画を復刻して報道し、トルコででさえ新聞Cumhurieyetが敢えて複製し付録として添付したほどだ。 一方、自由の大地USAでは奇妙な静けさが支配している。 発言と報道の自由が攻撃されたことに対する懸念と嫌悪感は表明されているが、'自由の敵’に対する報道による反撃は行われていない。 大手メディアでモハメド諷刺画を公表したところは無い、理由は自粛だ。 実況放送でもそれは見られ、CNNは数時間にわたってパリの抗議の行進を放送したが、参加者の名前やモハメド諷刺画は丹念にボカされていた。 メディアが何故自らに口環をはめるかについては、読者や視聴者を不要に刺激しない配慮だとされる。 スポンサーへの配慮も当然あるし、イスラム圏での仕事が難しくなっては困るというジャーナリストの事情もあると複数の編集長は理由を挙げている。 しかし、ヨーロッパのジャーナリストの目にはUSアメリカ人のユーモアの理解が違い、諷刺画や政治風刺も異なった伝統の中で発達してきたことが原因だと見られるという。 たしかに、'政治的公正’もひとつの役割を果たすが、歴史的な背景からもこの時期にUSAで少数派をからかう事は適当ではないという判断があると見られる。テーマが人種と宗教の場合は非常に難しく、自らの宗教に関してはともかく、他の宗教を冗談の種とすることには非常に慎重な空気が支配している。 おおっぴらな論議で有名な国で、言論に慎重? 全ての政治家は勿論、容赦なくカカオ液の中で引きずられるが、Charlie Hebdoに関しては、Obama政権が高官を一人もパリに送らなかった事が強く批判されただけだった。 少数派や宗教感情に関してはユーモア分野での自粛が行われ、礼儀正しく、他人を無意味に刺激せず、うまく共生していく事が出来るように気を使うことが求められる。 そのため、宗教は出来るならば避けて通る危険なテーマだ。 幾つかのメディア会社は風刺の分野を広げようとしており、雑誌New Yorkerの伝統ある諷刺画の最近のひとつはその例だ。