法王フランシスコの立候補演説


sitemap.jpg 教会の現状の容赦ない分析を2023-04-20
原文 3月27日にRadio Vaticana をはじめとするコンクラーヴェを前にしたJorge Bergoglioの立候補演説を伝える多数の報道を要約したものです。
「教会の現状の容赦ない分析を」
2013年4月05日
コンクラーヴェで選ばれ法王フランシスコ(Papa(Pontifex) Franciscus, Papa Francesco, Papa Francisco, Papst Franziskus, Pope Francis, Pape François)となったJorge Bergoglioの立候補演説は大きな感銘を出席者に与えたようで、ハヴァナの大司教Jaime Lucas Ortegaが演説の速記録を彼に手渡しても良いかどうかを尋ねたほどだとRadio Vatikanが報道している。 新法王は更に進んで、文章化された演説を公表することを了承した。 秘密主義を破ることだけではなく、演説内容も非常に注目に値するものだった。 彼は司教たちにカトリック教会の現状を容赦なく分析することを提案した。 「教会は外に出て、隅々まで行くことを求められている。 地理的な隅々だけではなく、人間の存在の隅々まで。」と語り、それを「罪、痛み、不公平、信仰に対する無知と無関心、知識の潮流そして全ての苦しみ」だと説明した。 「もし教会が外に出て行って、福音を広げなければ、自己参照に陥り病んでいく」とし、教会は既にそのような状態になっていると考えていることを明かした。 教会組織に起こった悪事はまさにこの自己中心性と神学ナルシシズムに根を持っているとした。 この言葉ははっきりとヴァティカン銀行の不祥事、Vatileaksの情報漏えい事件、多くの虐待事件に向けられたものだ。 この文脈からは司教たちが教会の変革を承認しているように見える。 この5分間の演説は教会最高機関におけるひとつの実際の変化だった。 これは彼が法王の職に就いた後の数日で実証された。 彼は豪奢を辞退し、教会を実質的なものだけに削減し、人々が近づき易くすることに努めた。 既に変革の勇気の兆しが見えている。 ミュンヒェンの司教Reinhard Marxはヴァティカンの状況を批判して「教会はローマに中心を持つことが必要なことは強調します。 しかし、それが誇張されてはなりません。」とヴァティカンが宮廷国家のようになっているという意見を代弁した。 法王フランシスコは彼の道を一貫して進んでいるようで、復活祭前の緑の木曜日には少年刑務所を訪問してミサを執り行い、聖書の故事に倣い服役者の足を洗った。
ユダヤ教ラビとの対話で「教会は女性」
ユダヤ教ラビAbraham Skorkaと当時のブエノス・アイレスの司教Jorge Bergoglioはかつてサッカーファンとしてブエノス・アイレスで知り合い、カトリックとユダヤ教の立場から神と世界について議論することが始まった。 三年前に二人の会話はスペイン語の一冊の本 Sobre el cel i la terra として出版されたが、大きな反響はなかった。 今、それは変わろうとしている。 この本が多数の言語で近く出版されようとしているからだ。 Bergoglioはそこで喜ばしく開放的で、教義に囚われず、人間に向かっている。 そのなかの幾つかの例。
信仰のある無しにかかわらず人は神の写し身だ。
神の民の大きな扇動者は常に疑いを挟む余地を与えてきた人間だった。
儀式だけの宗教は滅ぶ運命にある、それは心を空ろにするからだ。
宗教は誰かの個人生活に割り込む権利を持たない。
ユダヤ人とカトリック人の間の論議は高度に知性的で政治的な爆発力を秘めている。 Bergoglioがグローバル化について「世界中が制服を着せられたら、世界は人間的ではなくなる。」そして極端な場合は「人民を奴隷化する道具」と語る、そのため彼は反資本主義の反グローバル運動に非常に近い。 彼が資本家が資産をその資産を生み出した土地から外に持ち出す資本逃避を罪だと批判する時はほとんど革命的な響きを帯びる。 彼の汚れた寄付金についての感情的な議論は不透明な銀行取引、怪しげな資金源に取り巻かれたヴァティカンの財政の心臓部を直撃した。 麻薬取引などによって得られた金は教会に寄付され、社会的な良い目的に使われたとしても汚れたままだ。 「血のついた金を教会は受け取るべきではない。」
同性婚 - 人類学的な後退
 教会の結婚、離婚または堕胎についての道徳見識に絡む他の項目もある。 このテーマについて新法王は超保守的な前任者と同様に教義的であるようだ。 「堕胎?」-「自分を守ることが出来ない誰かを殺すこと」、「離婚?」-「解消することの出来ない婚姻に対する違反」。
 形式的にはリベラル、しかし、内容では同姓婚の導入にについては頑なに反対だ。 厳しい攻撃演説を彼は、同姓婚は常に存在したとリベラルさを強調して始めはする、そしてそれは基本的には教会とは関係のない個人的なことだと続ける。 しかし人類はこれまで、同じ性の二人の人間が男と女のように結婚することができるという結論を出したことがない。 そこで今、これは宗教的な問いを遥かに超えたものだ。 そこにBergoglioは人類学的な後退を見る。 それは、二人の男または二人の女の間の結婚の導入は数千年の歴史を持つ自然で人間的な制度を弱めることになるからだとする。
上等な孤児院のほうが良い
 そういう訳で当然、彼は同姓カップルが貰い子をすることも認めることが出来ない。「それは子供に障害を与える可能性を含むからだ。」、結局「あらゆる個人は男の父親と女の母親を」必要とするからだ。 それでも施設で育つよりも良いのではないかとの問いへの彼の答えは「そのどちらも子供にとって最良の状況ではない」と否定的だ。 そこで彼は、国家がより良い施設のために腐心するべきだという結論に達する。 または、社会、慈善団体そして教会がそのような子供を受け入れるべきだとする。
 教会内での女性の地位についてでは、彼は最近の公開謁見でも言葉をきわめて女性を持ち上げたが、彼の在職中に女性が聖職者になることはないとも明言している。 聖職は男性だけに開かれている、最高の聖職者イエスも男性であり、女性には「子宝と優しさ」という他の役割があるとする。 それだからと言って、女性の価値が劣るということではなく、処女マリアは教会の序列では使徒達よりも高い位置にあり、さらに忘れてならないのは、イエスが結婚した教会も女性であることだ。 それをもって女性は満足以上であることが出来ると彼はSkorkaとの対話の中で述べている。 70年代以来続けられている女性運動も女性を前進させることは出来ない、それは誇張して言うと、「スカートをはいたマッチョを作るだけだ。」
聖職者の独身は続けられるべきだ - とりあえずは
 独身であることに困難を感じている聖職者たちはほんの僅かだが自由な時代への希望を持つことが出来るかもしれない。 東方カトリック教会、ギリシャ、ロシアやウクライナでは聖職者は妻帯することを許されており、法王自身も神学校時代に「頭がぐるぐる回ってしまうような」熱烈な恋に落ちたことがあるからだ。 Bergoglioは独身制に10世紀にわたり多くは肯定的な経験となってきた伝統を見ており、独身制の保持に「今のところ」賛成の立場だ。
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